最近、あらためて感じていることがあります。
中国では、「同業との競争」という考え方自体が、少しずつ通用しなくなってきている気がします。
私は以前、日本の保温弁当箱やスープジャーを中国向け販売していました。
売れなくなったとき、最初に思ったのは価格の問題でした。
その次に、競合の存在も考えました。
ただ、どれもどこかしっくりこなかった。
振り返ってみると、本当の原因はもう少し手前にありました。
今の中国では、料理をしない人がかなり増えています。
美团 や 饿了么 を見れば、
手頃な価格で、短時間で食事が届くのが当たり前になっています。
そうなると、そもそも「自分で用意して持ち運ぶ」という前提自体が弱くなる。
つまり、スープジャーという商品は、
競争に負けたというよりも、
成立していた前提ごと変わってしまっていた、という感覚に近いです。
ここは大きなポイントだと思っています。
中国で起きているのは、
商品同士の競争というより、
「前提条件そのものが書き換わる競争」です。
この変化は、物流の分野でも見られます。
これまで配送は、配送会社同士の競争でしたが、
今はそう単純ではありません。
滴滴出行 のようなプラットフォームによって、
人の移動とモノの移動が、同じ流れの中で扱われるようになってきています。
たまたま同じ方向に移動する人が、そのついでに荷物を運ぶ。
そういった形が、現実に成立し始めている。
結果として、これまででは考えられなかった価格帯での配送も可能になる。
これは単なる値下げではなく、
コストの考え方そのものが変わっている、という印象です。
では、日本はどうか。
同じようなことが起きているかというと、
現時点ではそこまでではないと感じています。
日本では、生活のベースが比較的安定しています。
弁当を作る習慣も残っていますし、
自炊という行為も日常の中にしっかりあります。
セブン-イレブン や ファミリーマート は非常に便利ですが、
生活を置き換えるというよりは、あくまで補う存在です。
また、Uber Eats も広がっていますが、
中国のように生活の中心を担うところまでは来ていない。
この違いは、変化の進み方にあると思います。
中国は、生活の構造そのものが先に変わる。
それに合わせて、商品やサービスが一気に入れ替わる。
一方で日本は、
今ある生活をベースにしながら、少しずつ変わっていく。
その分、同じ商品でも成立する期間や前提が違ってくる。
もちろん、日本も変わっていないわけではありません。
単身世帯の増加や高齢化の影響で、
「作らない生活」は確実に増えています。
方向としては、中国と大きくは変わらない。
ただ、そのスピードが緩やか、という違いです。
ここまで考えると、少し整理ができます。
中国では、
余っている資源がどんどん市場に組み込まれ、
プラットフォームによって再配置されていく。
その結果として、
業界の境界が曖昧になり、構造自体が組み替わっていく。
こういう環境では、
「良い商品を作る」だけでは足りない。
一方で日本は、
生活の構造がまだしっかりしていて、
信頼や品質が長く効く市場です。
だからこそ、同じように見えても、
戦い方は自然と変わってくる。
中国では、
「この需要は今も存在しているのか」を見ないといけない。
日本では、
「この需要はあとどれくらい続くのか」を見ないといけない。
競争だけを見ていると、判断を間違えることがある。
商品だけを見ていると、もっと手前の変化を見落とす。
今回の気づきは、
その少し前にある「構造」や「生活の流れ」を見ることの大切さを、
改めて考えさせられるものでした。

